80年代のアーセナルの中心選手、イングランド代表で21試合3ゴールを記録し、データは古いが2003年7月まででリーグ戦とカップ戦に合わせて636試合出場し133ゴールを挙げた。
一見華々しいフットボールライフを歩んできたかに思えるが、実は波乱や苦難に満ちた選手生活を送ってきた。 ((自分が原因だが…))
アル中薬中賭博中家庭内暴力…このろくでなしこそ僕がイングランド人で一番好きな選手ポール・マーソンだ。
マーソンはアーセナルでデビューしその後12年間プレーする。その間国内外で数々の栄冠を手にした。しかし、1994年にアル中薬中賭博中毒であることを告白して大問題になり、FAから治療を言い渡される。
96-97シーズンに4.5mポンドで当時2部 ((ディヴィジョン・ワン)) のミドルズブラに売却されてしまいキャリアに影が差してきたかに思われた。また、ボロ ((ミドルズブラの愛称)) でも同様の悩みに苦しめられた。しかし、97-98シーズンにボロをプレミア昇格に貢献し、唯一の非プレミアのイングランド代表選手としてワールドカップに参加した。
ワールドカップが終わると4mポンドでアストン・ヴィラと契約。かつての輝きを取り戻した(僕自身は「かつて」を知りませんが…)。アストン・ヴィラで美技を連発し、イングランドで最も巧い選手と印象付けた。だが、グレアム・テイラーがアストン・ヴィラの監督に就任すると事態は一転。ベンチ暮らしが多くなってしまった…
結局02-03シーズンにディヴィジョン・ワン ((今のチャンピオンシップ)) のポーツマスに移籍。ポーツマスでは監督から自由を与えられ35歳という年齢もあり体調管理など全てを自分の責任において任されていた。ポーツマスでまだまだプレーできるというところを見せつけ、得点を奪うだけでなくアシストもし、試合以外でもチームメイトに対して心遣いなどあらゆる面でチームの中心として活躍し、ディヴィジョン・ワン最優秀選手賞に輝いた。
結局マーソンはプレミアでプレーせずポーツマスを1年で去り同じディヴィジョン・ワンのウォルソールに移籍した。
ポーツマス時代からそうだったがピッチ内外での影響力が強く、若手からの信頼も厚かった。ウォルソールでは2004年の4月からコリン・リー監督の後を継いでプレーイング・マネージャーに就任した。ウォルソールのデビュー戦ではあわやハットトリック(ポストに阻まれたシュート含む2得点)という活躍を見せた。貧弱な戦力しかなかったウォルソールで孤軍奮闘したが最終戦で引き分けてしまい得失点差(GD)1の差でジリンガムに競り負け降格してしまった。
その後2006年2月にウォルソール ((現在リーグ2(4部)まで落ちている)) の監督を解任されてトムワースというクラブと選手として契約し1試合に出場している。
僕はマーソンを忘れない。あるインタビューでマーソンは自分は昔からチェルシーファン ((オフィシャルサイトのセレブリティファンの一覧に名前が載っている)) で、引退したらチェルシーのシーズンチケットを購入し娘と一緒に観戦したいと答えていた。
いつの日かスタンフォード・ブリッジのスタンドにいるマーソンを目撃出来たら…どんなに嬉しいだろうか。
監督マーソン、アシスタント・マネージャー・ゾーラとなったらとても嬉しいのだが…




